マズローの欲求5段解説「自己実現論」ついて書きます。個人的な理由から文章にして納得したい思ったからです。
マズローの自己現実論(5段解説)の簡単な説明
あまり難しくなると、自分が混乱するので簡単に書こうと思います。しかも理解もできてないだろうし単なるアレな奴のアレと思ってください。
※かなり省略しましたので、詳しく見たい方は引用のリンクから御覧ください。マーケティングなどには利用されているようですが、この自己現実論に対し批判も多いようです。
- 生理の欲求:呼吸、飲食、セックス、睡眠、健康、排泄
※生きるための本能的な欲求です。動物の欲求と同じ。- 安全の欲求:安全(身体、雇用、資産、道徳、家族、健康、財産・所有物)
※一般的な大人が持っている欲求です。- 社会欲求と愛の欲求:友情、家族、性的親密
※自分が社会に必要とされている、社会的役割がある。他者に受け入れられている、どこかに所属しているという感覚の欲求です。- 承認(尊重)の欲求:自尊心、信頼、成果、他人への敬意、他人からの敬意
※自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求。
尊重欲求のレベルには2つある。低いレベルの尊重は、他者からの尊敬、地位、名声、利権、注目など。高いレベルの尊重欲求は、自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性などを得ることで満たされ、他人からの評価よりも、自分自身の評価が重視される。- 自己実現の欲求:道徳、創造性、自発性、問題解決、偏見の欠如、事実の受入
※自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求。すべての行動の動機が、この欲求に帰結されるようになる。- 自己超越:自己実現を超越したもの(人口の2%)
※マズローは晩年、5段階の欲求階層の上に、さらにもう一つの段階があると発表した。(この部分は余り理論の対象になってないようです。)
引用:ウィキペディア 翻訳:グーグル翻訳
承認欲求は必要か?
自己超越は人口の2%で、ある意味「神のような存在」です。なので自己超越は別と考えます。そこで承認欲求は自己実現に必要な要素なのでしょうか?特に「他人からの敬意」。むしろコレが無ければ、その上の自己実現の欲求により近づけるのでは?と思ってます。というかボクが低いレベルの承認欲求を求めているんだな!っと確信できました。他人の敬意を気にせず求めるモノを追求する事こそ、自己現実に近づける最短の道ではないのか?と思ってます。
かつてのボクの承認欲求
高校時代に承認欲求は満たされていたと思っていました。それは上に書かれている、低いレベルの承認欲求だったなっと感じています。大学に行った頃に「他者承認」から「自己承認」や「自己実現」を目指しましたが低いレベルの承認欲求を意識するあまり、自己実現にまで至らなかったと思っています。
学生から就職すると欲求の対象が変わった
高校時代は親に頼って生活をしてました。大学生になり一人暮らしをしてアルバイトをしてました。就職になった時にいきなり承認の欲求から安全の欲求まで欲求段階が下がったのです。結局、学生時代の承認(尊重)欲求は、親の担保の上で成り立っていた事になります。
友人Rが承認欲求を目指し頑張っている
ここに何回か書いたRですが、他人になんと言われようと自己実現または承認欲求を目指しているように思えるのです。安全の欲求を飛ばした状態で。しかし誰が見ても彼は幸福なんです。
------
う~ん…コレジャナイ感
------Ψ
0 件のコメント :
コメントを投稿